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2005年6月中旬〜7月上旬
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| 一風呂あびて、夕暮れ時にたそがれてみる。極楽だ。至福のときである。今年はじめてみるコオロギ、花の蜜をもとめて虫たちも集まる。片わらのたまり水にさえ生命を感じ、遠くの空をながめると、時間がとまったかの様に、いろんな人たちの想いや声が聞こえてきそうな気がする。 |
去年から今年にかけ私の建築現場は雨にたたられた。掘立式建造物“ヴィオ劇場”の柱を建てるための57個の穴にも三日も雨が降れば同じ数だけの小池ができる。ポンプで水をすい、くずれた土砂をかきあげ、すでにうってある“墨”を探し出す。重機の力をかりながら、人足5人で2日間、ようやく柱を建てることができた。電気もない、バケツもない(何かしかの器はあったろうが)古代人たちはどうやって竪穴式住居を建てたのだろうかと想いをはせる。ある程度の工期を決め、効率優先の現代社会にあっては時間を労費するよりも物資を労費するのか。また“たそがれて”しまった。 | ある集まりで“私にとって今度のことが最後の仕事だと思っている”と話したことがある。50を目の前にした私にとっては、残された人生をどう生きるかということが、大事になっていることに気づかされた瞬間だった。夢がいっぱいで、あとさきなく“今”を生きていた若い頃とは違っていた。しかし、そうだろう。日々こつこつと畑仕事に精を出している老人たちは、犬や猫たちは、木や花は、それに今建築中の“ヴィオパーク劇場”だって、“今を生きている”とは言えまいか。“残された時間”と“今を生きる”ということ。そして“死”。このアンバランスをこれからどう生きていけばいいのだろうか。私の中の“たそがれ”は止まるところを知らない。 |